境界ってどこにあるの?

---不動産、とりわけ土地の境界がどこにあるか?それを特定するのは簡単なことではない---

日常私達が口にしている境界とは、所有権の境のことをさす。この所有権の境界をめぐって隣人どうしで争いが起きることもしばしばである。都心部であれば、土地面積の増減や間口奥行きの大小が、建物建築の建ぺい率や容積率、斜線制限などに影響してくるし、実測面積で売却するとなれば代金に直接関係してくるから、たとえ10Cmの違いでも当事者にとってみれば、深刻な問題にもなる。

物理的にみれば、海面下も含め土地はすべて連続しており、私達の住む地球という星をかたち作っている。そのうちの一部の地域において、私達人間が勝手に地上に線を引いて、互いの所有あるいは占有区域としている。

ところで、当事者であっても、その線が具体的に現場のどこにあるのか不明だということはよくあることで、事務所に相談に来る人も少なくない。

また、法務局の窓口で係官に、どうして図面と現地がちがうのかとか、境界を現地で教えてほしい、あげくは、法務局が管理しているわけだからわからないというのは無責任じゃないか、などと苦情を言っている人もときどき見かける。しかし、法務局は図面や登記簿を管理しているだけであって、現地まで管理しているわけではないから、それは無理かろうというもの。

法務局には、測量図が備えてあって、それと現地を照らし合わせてみれば境界がはっきりするはずだと思っている人が意外と多い。しかし、法務局に備えてある測量図はほんの一部で、それも年代の古いものは現地と合っていないことが多い。何故、そのようなことになるのか?
法務局には測量図のほかに17条地図や公図(こうず)という地図(正確には、17条地図のみを地図といい、他は地図に準ずる図面とよぶ)が備えられている。17条地図の17条とは不動産登記法第17条のことをさす。この地図は、土地の所在を明確にするために法務局に備え付けられるもので、国土調査地籍図、土地区画整理確定図、土地改良確定図などで精度の高いものも17条地図として扱われるが、その数は非常に少ない。
一方、公図とは主に旧土地台帳付属地図のことで、いわゆる更正図のことをいう。更正図といえば、多少土地関係に知識のある人は一度ならず聞いたことがある地図名のはず。

更正図は、明治の初めの地租改正のときに徴税の目的で作成された地図を、明治末期に政府が各村に命じて再度調査測量させ、作り直した(更正した)ものである。

しかし、この更正作業もやはり徴税が目的であったから、作業に従事した村人たちは、実際より過少に作製申告したり、また、素人が縄と竹ざおで測るという当時の測量は、現在の測量と比較して格段に精度の低いものであったから、現地と合わない更正図が数多くできあがってしまった。

このように、公図は、その作製目的が17条地図とは違っており、そのためもあって当初、法的には存在根拠のない地図であったが、資料としてはこの更正図よりほかに頼るものがないという事情もあって、実務上利用されてきたため、平成5年には17条地図に準ずる図面として、不動産登記法上規定された。
だが、この更正図の存在が、現地と合わない測量図が生まれる原因となった。
土地を分割(分筆)する際、更正図に線を引いて、これを測量図としたのである。これは、現在、土地の調査測量を業務とする者にとっては、全く頭の痛い問題である。なぜなら、いったん法務局に備え付けられた図面は、明白な事由がない限り、簡単には訂正できないからである。
なお、近時はこのような符合しない測量図は作製されていない(誤って作製ということはありうるが)から、これを手がかりに現地で境界を見出すことは、比較的容易だと思われる。

私達が、所有権の境を境界と呼んでいるということは前に述べた。
だが、境界はほかにもある。それは筆界(ひっかい)というものである。簡単にいえば地番と地番の境のことである。筆界は所有権境(しょゆうけんさかい)とは異なる

たとえば登記簿名義A男の5番という地番の土地100uがあるとする。このうち東側半分の50uをA男が、西側半分の50uをB子が所有しているということは、ありうる。 B子がA男から半分買ったとか、原因はさまざまあるにせよ、とにかくありうる。登記がA男だからA男がすべて所有することになるのではないか、という見方もあろう。しかし、登記というのは権利関係(この場合は所有権者がだれであるかということ)を当事者(この場合は売主A男買主B子)以外の第三者に主張対抗するためにするものであって、登記したから所有者となるのではない。つまり、登記が権利取得の絶対的要件ではないのだ。

だから、A男とB子との所有権の境である所有権境(境界)と、5番という土地が本来持っている外周である筆界とは異なるのである。だから、専門家達は、通常、所有権境のみを境界と呼び、筆界のことを境界とは呼ばない(ただし、依頼者等にはすべて境界として話をする場合もある)。

どうして、このようなまわりくどいことをするのか。 それは、筆界というのは、登記官(国)が地図に線を引くことで絶対的に決められる性質のものであり、所有者等の当事者がいくら境界線の合意をしても、それには影響されないからである。

本来の筆界とは違う境界線を、当事者が望む筆界とするには、分筆登記をしなければならない。なおかつ、分筆した土地の所有権移転登記をしなければ、所有していることを第三者に対抗できない。このことは既に述べた。

境界問題で余り神経質になるのは近隣関係に良い影響があろうはずはないが、さりとて無関心でいるのも将来境界問題が発生するモトでもある。刃傷事件まで発展するのもままあるくらいだから、境界には関心をもちながらも、そればかりに拘泥しないという心を持ちたいものである。
ただ、実際問題として、本当に筆界がどこにあるのかは、専門家といえど難しい問題である。数学的物理的に、1本の線というのはつきつめればどこまでも細くなるわけだし・・・。真の筆界線は神のみぞ知る、いや神すら知らないというべきであろうか。

いずれにせよ、他人どうしの境界とはいえ、境界確定作業の終えたときは本当に嬉しいものである。